9歳小型犬⭐僧帽弁閉鎖不全症▷手術までの過ごし方&手術の日

前回はこちら→9歳小型犬⭐僧帽弁閉鎖不全症 ▷手術を決断しました

僧帽弁閉鎖不全症(MR)という恐ろしい病気が悪化し気落ちしたものの、病状を大きく改善できる可能性があるという手術治療にむけて舵をきったみろ家

どうか無事にその日を迎えられますように...

目次

手術までの過ごし方

手術の日まで 13

まずは現実問題、手術代。わが家には簡単な額ではない。でもこの切羽詰まった状況では、金額面で手術を「する」か「しない」か悩むことは、一切なかった。

キャンピングカーをローンで購入したばかりで、実際ぱぱとは 『(買ったばかりの)車を売ってでもおねえを助けよう』と話している。

手術に関する費用や検査・投薬にかかった費用は、みなさん気になるところだろうか?...需要があれば別記事でまとめたいと思う。

手術代の振込

書類には2週間前までに振込と書いてある。手術の予約をした時点で2週間をきっているので、一番最初に振込をすませた。

ちなみに以下のような場合、キャンセル料が発生する

  • 事前入金されていない場合は手術はキャンセル
  • 当日申告では100%
  • 前日では80%
  • 2日~7日前では25% 

持ち物の準備

入金が終わったら次は入院の準備だ。

入院中は2こまで私物を預けてもいいそうだ。きっと個別のケージの中で多くの時間を過ごすのだろう。普段遊んでいるおもちゃからお気に入りを2個、持たせることに決めた。

持ち物にはすべて名札をと書いてある。

翌日手芸店に行き、名札を買っておもちゃに縫い付けた。

おもちゃ以外には、手作りごはんを持たせてもOKだそうだ。以前うららん、手作りごはんの食育講座を受けて(1級免許も取った)いそいそと何年も作っていたのだが、皮膚の膿皮症で巡り合った病院では手作りご飯は禁止され、指導されたドッグフードと薬で劇的によくなった。今回ごはんは全て治療代に含まれていて持参しなくてもいいが、皮膚専門医からフードを指定されているので、念のためそのフードを持参することにした。

皮膚も状態が悪かったら、手術はできたのだろうか...と思いをめぐらした。

ホームドクターへの受診

事前検査の日は、利尿剤を注射でしてもらっている。夕方にお迎えした後は、翌日朝までお水を禁止ということだった。お水を取り上げると、『まま、なんで??』とばかりに首をかしげて見上げられた。(ここはあるじも我慢だ) 翌朝から指示通りに、30分おきに50㏄ずつ与えた。お昼頃には欲しがらなくなるはずです。とのご指導通り、お昼にはお水を残すように。以降はフリーで与えた。

次に、薬の調整が必要だった。事前検査後8日分処方あり。手術まで足りないので、ホームドクターに受診する。足のこともあるので、少し早めに受診し装具を診てもらう。心臓の薬は、執刀病院と同じ処方のものを、手術日までの日数をきっちり計算して出していただいた。

担当医には『うまくいきますよう祈っています』と送り出していただいた。『退院したらまた来ますね』と言って別れる。この薬がなくなったらいよいよ手術だ。一日一日減っていく薬をみるとカウントダウンされているような気分になる。1日1錠からスタートした強心薬も今は1日2錠。利尿剤も1種類→2種類に増えている。忘れないようにしっかり飲ませた。

おねえわん以外の準備

おねえの準備はここまで。あとは私たちの準備...

手術の日からキャンピングカーで寝泊まりをするつもりだった。自宅に帰らなくてもいいように、自分たちとおにいわんとみろの荷作りをした。おにいわんのシャンプーとセルフトリミングもしておいた。

手術前日にも仕事があり、ミスがないようにしっかり準備する。ごてごてしたら、安心して付き添えない。

準備はおわった。でも心落ち着かず、不備があってはいけないと、手術に向けていただいた書類を、何度も何度も読み返した。(熟読するよう書類にも書いてある)何度も読み返すと、多少心が落ち着いた。

あとはただただ静かに穏やかに。いつも通り過ごす。

お散歩は抱っこで、外の空気を吸うくらい。事前検査後、集中治療?(注射)で少し咳は減ったようだったが、それも数日で元に戻った。相変わらず苦しそうな咳をする。

あたたかな日を選んで、近所の氏神さまにもご挨拶。歩いて参拝して帰ると40分くらいの距離で、わんこの定番お散歩コースのひとつだ。

おねえとみろをカートにのせて、おにいわんだけ歩いてもらう。おれっちカート好きなのに妹と弟に占領されていて乗せてもらえない💦最年長の特権を生かせず(笑)終始、がんばって歩いてくれる(*^-^*)

毎夜ふとんに入り、おねえの寝息を聞くたびに『今日も無事でよかった...』と感謝して一日を終える。

とにかく心不全を起こさないように、そして無事に手術の日を迎えられるように祈る日々を過ごした。

当日がきた

前日の仕事も無事におわり、午後から部屋の掃除をする。

預けるのは9時。家をでるのは6時すぎ。予定通り出られるように、前日のうちに荷物を積んでおく。

次の用事まで6日間は帰らない予定だ。神棚は当日の朝にきれいにした。

片付いた家に帰りたい派(どんな派w)なので、早起きしてお掃除してから出発する。

順調に8時40分ごろ着いた。おトイレを済ませてから連れて行きたかったので、おにいわんと一緒に駐車場から歩道にで出て軽く歩く。3分もしないうちに、💩もおちっこもしてくれた。完ぺき!

さぁ、いよいよだ。おにいわんとみろとはここでしばしお別れだ。

おねえわんをおくるみに包んで、冷やさないように連れて行く。

9時。数人待合室に座っている。

なかなか呼ばれなかったので、記念に?!写真をとった。万が一この姿がみれなくなることがあるのだろうか…?これが見納めになりはしないだろうか?考えちゃいけないと思いつつ、そんなことが頭をよぎる。何枚もシャッターボタンを押した。

呼ばれるのを待っている間、隣のわんちゃんがこちらをみている。ご主人様は、受付でアンケートを渡されて何やら書いている。どうやら術後の検診らしい。

話す機会があった。術後1年検診だそうだ。手術されたんですか?と問われ、これからです。と答える。いつですか?と聞かれて今日だと答えると驚かれた。

奥さまがいろいろ話して下さった。何度も心不全をおこしたこと。3カ月ほど待ったこと。その間が辛かったこと。無事に受けられたことなどなど…

そして最後に『大丈夫よ』と…

その言葉にどれほど勇気をいただいただろうか...

覚悟はできていたはずだったが、経験者の言葉、そして隣でおりこうにぱぱさんのお膝に座っている術後1年生のわんこちゃんに、うららんはとても勇気をもらったのです。

そんな話をしていたら呼ばれたようだ。もっと経験談を聞いていたかったが、ありがとうございます。とそのわんちゃん家族と別れて診察室へ入った。

執刀医と2度目の対面

家で食べているフードと装具をもって入る。この2点は忘れずに言わなきゃと意気込んでいた(意気込む必要なかったのだが)

この時の確認事項は、

  • 飲んでいるお薬の確認を口頭で
  • お昼ごろから麻酔にはいる
  • 書類には近くで待機と書いてあるが自宅に帰ってもいい
  • もし問題が発生したら早めに連絡する
  • 手術が終われば電話でご連絡します
  • 明日から面会ができます

とのことだった。こちらからは

  • 皮膚専門医にご飯を指定されていること
  • ホームドクターから膝の安静のために装具を付けるように指導されていること

をお伝えした。

先生が沈黙される...(長かった...笑)

しばらくして膝前十字靭帯断裂の治療について話を切りだされた...

私の言葉が足りなかったようだ。この2点をお伝えしなければと意気込んでいたばかりに圧が強かったのか、すごくお言葉を選んで特に装具について回答しようとしていただいたようだった。すぐさまぱぱが『僕たちも何もわかっていないので』と、こちらも執刀される先生のご判断でしていただきたいのです、と補足した。

わかりました。それでは臨機応変に対応します。と話は終わった。

このことからも先生はご誠実なご性格なのだろうなと、また勝手に信頼感がわいた。

いよいよ、おねえわんを先生に託す時が来た。

先生は初めてお会いした時と同じく、うちの子を優しくそおっと抱き合げてくれた。

『それではがんばりますので』といっていただく(泣)

『どうぞよろしくお願いいたします!』と深々と頭をさげてお願いし、診察室の扉をしめた。

預けてから

いってしまった...

無事にこの日を迎えられた安堵感と、いよいよ生死に関わる大変な手術をうける時がきたのか、という相反する気持ちが混在している。どこかおねえわんが遠くにいってしまうような落ち着きのなさも感じるのだが、ここは『大丈夫、守られているのだから』と自分に言いきかせた。

車に戻って、おにいわんとみろにごはんをあげた。朝食もお水もなしのおねえわんがかわいそうなので、2匹にも待ってもらっていたのだ。

ご飯をあげたら、今度は私達。

近所を検索した。名古屋らしいものを食べようと、味噌煮込みうどんのお店に入った。とても繁盛している。お漬物が食べ放題、白いご飯もついているランチでめちゃくちゃ美味しかった。

手術が終わる時間まで

ランチの後、何をしていたのだろうか。あまり記憶がない。13時過ぎたころ、『もう始まってるんだね。』と会話したが、覚えているのはそれだけ。

夕方には病院の駐車場に戻っていたような気がする。キャンピングカーの常設ベットに寝転がり、体を休めた。この病気のことを検索したり病院のホームページを覗いてみたりした。

ぱぱさん、今夜は夜勤だ。名古屋駅まで送るよといったが、調べるとバスも電車もある。もう車動かさなくていいから、と最寄り駅からの時間を計算している。

電話がかかってこない

お昼ごろから麻酔をかけて、5~6時間だと聞いていた。もっとかかる可能性もあるとも言っていたが、17時を過ぎても18時をすぎても、病院からの連絡はない。19時ごろぱぱどのは発った。『すぐ電話ちょーだいね』と言って。

19時半を過ぎてもまだ連絡はなかった。

もう車からは降りない予定だが、ジーパンを履いたまま、着替える気にはならない。何度も何度も時計を見た。

19時40分...50分...大丈夫だろうか。祈る思いだった。

20時少し前、やっと電話が鳴った!すぐに取る。

1回目の電話

第一声、『〇○さま、お待たせいたしました』

先生の声のトーンが明るい。(執刀医ではなさそう、はじめて聞く声だ)

一気に期待が膨らんだ。

先生が続ける。『僧帽弁の方は悪かった部分を修復できました。無事におわりましたのでご安心ください。ですが細かい出血があり、止血の処置にお時間がかかりましたがそちらもおさまりました。○○ちゃんの状態ですが、今切開したところを閉じた状態です。まだ麻酔はかかっています。』と...。

ほっと胸をなでおろす...

『この時点で待機の必要性は解除になりますが、いま○○さまはどちらにおいででしょうか?』と飼い主とのコンタクトも確認してくれる。

『はい、病院の第二駐車場で車内におります。このままそばにおります。車で寝られるように準備していますので、夜間も駐車場を利用させていただいてもよろしいでしょうか?』 駐車場は広く停まっているのは1台だけだが、念のため許可を仰ぐ。

『それは全然構いませんが、冷えるのでお気をつけくださいね。』と気遣ってくださった。そんな一言が緊張していた心を溶かしてくれる...

はきはきとしっかりした口調。理路整然としたご説明。クレバーな方だなぁという印象だ。(のちにこの先生ともお会いできる機会があったが、笑顔の優しい先生だった。)

きっとたくさんの先生やスタッフの方が関わってくださっているのだろう、と想像しながら電話を切った。

2回目の電話

一旦電話を切る。次は麻酔から覚めたら連絡をいただけるようだ。

すぐぱぱどのに電話する。向こうもちょうど電車を降りたところのようだった。

報告すると『よかったなぁ!ほんとよかった...』と喜んでいる。また電話するねと手短に電話を切った。

実家に電話をしようと思ったが、なにせ高齢でいつも夕方には布団にはいってしまうのを聞いているため、あえて電話はしなかった。明日の朝電話しよう。

急に疲労感が押し寄せてきたが、それでも安堵感に包まれていた。

ようやくジーパンを脱ぎ、パジャマに着替えた。

1時間くらいだとおっしゃっていたが、1度目の電話から40分くらいで2度目の電話がなる。1度目の電話と同じ先生だ。

『麻酔から覚めました。いま〇○ちゃんは人工呼吸器が外れている状態です。呼びかけにはまだぼーっとしていますが、顔に触れると嫌がる仕草も見られます。反応がありますので大丈夫ですよ。引き続きしっかり見ていきますので、本日のご連絡はこれで最後になります。』

そうですか、そうですかと頷きながら、嫌がる仕草と聞いてこちらも笑みがでる。

...ありがとうございました...と電話越しに頭をさげた...

いつもブログを読んでくれてありがとうございます!

おねえわんの手術の日、長い一日を終えました。

これからもひと山ふた山とありますが(笑)
ひとつづつ超えていきます。
また読んでくださると嬉しいです(#^^#)

それでは、またねっ♪

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この記事を書いた人

人生初猫となるみろの飼い主
アラフィフとなるまで
猫との接点はない人生だったが
一緒に暮らすようになって
猫の素晴らしさを知り人生がより豊かになる
『いまこの瞬間』を生きるお猫様を尊敬し
感謝する日々

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